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横浜地方裁判所 昭和50年(ワ)1893号 判決

原告

亡安江雪子訴訟承継人

杉山美代子

右訴訟代理人弁護士

庄司捷彦

中込泰子

増本一彦

被告

学校法人慈恵大学

右代表者理事

名取禮二

右訴訟代理人弁護士

大塚仲

明念泰子

髙橋明雄

片山和英

主文

一  被告は原告に対し金一八三四万一四八五円及びこれに対する昭和五〇年六月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は三分してその二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三七九〇万円及びこれに対する昭和五〇年六月二六日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする

旨の判決と仮執行の宣言を求める。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする

旨の判決を求める。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 被告は、主として医学教育を目的とする学校法人であるが、その付属機関として、慈恵大学付属病院(以下「被告病院」という。)を経営している。

(二) 承継前原告亡安江雪子(以下「亡安江」という。)は、本件訴訟を提起し原告として訴訟を遂行中のところ昭和五七年一一月二五日死亡したが、本件訴において被告に請求中の損害賠償請求権を原告に遺贈し、原告は右贈与を受けて権利を承継した。

2  本件医療事故に至る経過

(一) 亡安江は、昭和三九年六月ころから被告病院において腰痛の治療を受けており、被告病院から椎間板ヘルニアと診断されていた。

通院当初は日常生活に支障をきたすほどに腰痛が激しく、コルセットを使用したこともあつたが、通院治療により殆ど痛みを感じないまでに回復したので、同年一〇月ころ、以前従事していた英文タイピストの仕事を再開したいと考え、そのために腰痛を完治させたいものと考えて被告病院における当時の担当医であつた伊丹教授に相談したところ、同教授が、手術をすれば簡単に治る、一箇月か一箇月半程度の入院で完全に治る旨答えたので、亡安江は手術による治療を受けることを決意し、手術の申込を行つた。

(二) その際同教授から、入院の順番が来るまでには一年間位の間があると言われたため、亡安江は英文タイピストとして働きながら、入院の順番を待つていたところ、昭和四〇年一月ころになつて被告病院から入院可能である旨の通知を受け取つた。

しかしそのころは亡安江において仕事に区切りがつかず、直ぐ入院することが困難であつたため、その旨伊丹教授に相談した結果、急いで手術する必要はないから延期してもよいと言われて延期してもらつた。

(三) 以上の経過の後、亡安江は昭和四〇年六月二二日椎間板ヘルニアの根治手術を受ける趣旨の医療契約を締結し被告病院に入院した。入院後被告病院は亡安江に対し、脊髄腔造影等の各種検査を行ない右脊髄腔造影にあたつて造影剤マイオジールを使用したが、造影後右マイオジールを除去しなかつた。

(四) 被告病院は昭和四〇年七月一日、亡安江に対し、同病院勤務の医師片山良亮(以下「片山医師」という。)の執刀で、同医師丸毛英二(以下「丸毛医師」という。)、同医師大戸煇也(以下「大戸医師」という。)、同医師吉永榮男(以下「吉永医師」という。)を助手として、第四腰椎左側の骨形成的偏側椎弓切除によるヘルニア摘出の手術を行つた(以下「第一回手術」という。)。

(五) 第一回手術後、亡安江は三日間麻酔から醒めず、また、麻酔から醒めた時には左下肢が麻痺していた。そのため、亡安江は用便のたびに看護婦の介助が必要となり、用便後は看護婦に便器をはずしてもらい、その都度左足を伸ばしてもらつていたが、七月六日ころ、便器をはずした後足を曲げたまま放置されたことがあつた。亡安江は、その日から激しい腰痛に襲われて食事もできない程の容体となり、この日以後この状態が続くこととなつた。

(六) そこで被告病院は同年八月上旬、宮脇医師の手で下半身の冷熱感覚の検査を行つたが、その時点の亡安江は、左下肢が紫色に腫れあがつて、熱冷感、触覚が失なわれていたし、また右下肢の熱感覚にも著しい鈍麻が認められた。

(七) 被告病院は、前記の腰痛の原因を調べるため、亡安江に対し再度マイオジールを注入して脊髄腔造影による検査を行なつた。

右検査の結果、被告病院の伊藤医師は、更に他の一箇所にヘルニアの疑いがあると判断し、その旨を亡安江に説明したため、亡安江もこれを納得して、再度手術を受けることとなつた。

(八) 被告病院は昭和四〇年九月九日、亡安江に対し、片山医師の執刀で、丸毛医師、大戸医師、吉永医師、同病院吉松医師を助手として、第三腰椎の両側椎弓切除術及び硬膜切開の手術を行つた(以下「第二回手術」という。)。

(九) しかし第二回手術後、亡安江の両下肢は完全に麻痺し、触覚、痛覚、冷温覚のいずれも消失しただけでなく、強度の腰痛が残つた。

亡安江は同年一〇月一四日にギブスをはずし、同月一六日からリハビリテーションを受けるなどしたが、右の症状は回復しなかつた。

(一〇) かかる折、亡安江は前記伊藤医師から温泉療養所の方が効果がある旨勧められ、被告慈恵大学勤務の講師が経営する箱根整形外科温泉療養所の紹介を受けたため、右療養所に入所すべく、その手続をすませた。

(一一) そして亡安江は昭和四〇年一一月一〇日被告病院から右療養所に転院したが、右当時、両上下肢麻痺、呼吸困難の症状を呈していた。

(一二) 亡安江の右症状はその後の治療により若干改善したものの、両下肢の反射は全くなく、運動能力は膝関節以下が著減もしくは消滅の状態である。

3  被告病院の責任

被告病院は、亡安江から椎間板ヘルニアの根治のための手術を依頼され、これを履行するにあたつて以下に主張するような過失により、亡安江に対し、脊髄損傷を伴う両下肢麻痺等の前記障害を生じさせたものである。

(一) 第一回手術の適応性判断の誤り

椎間板ヘルニアの手術適応の決定に際しては、一般に①三週間の安静臥床によつても完全治癒しないもの、②自覚症状がなくてもラセグ徴候の強く残るもの、③疼痛発作をくり返すもの、④知覚障害、運動障害を遺すもの、⑤一側下肢に著明な筋萎縮のあるもの、⑥疼痛性側彎のあるもの、についてその手術適応が認められるとされているところ、亡安江は安静臥床等の保存療法を全く受けておらず、自覚症状も殆どなく、ラセグ徴候も認められずその他③ないし⑥の症状も全くなかつた。

したがつて、亡安江については、第一回手術において、その必要性がなかつたものであるところ、被告病院の前記医師はこの判断を誤り第一回手術を行つたものでこの手術適応についての被告病院の判断の誤りが、後記手術過程の過誤と相まつて亡安江の前記障害を惹起したものである。

(二) 造影剤マイオジール使用上の過失

(1) 脊髄は脊髄液に浸つており、又、脊髄にある神経細胞などの諸細胞は再生困難な細胞であるから、脊髄への外部からの異物の混入は脊髄にある細胞に対する損傷を避けるため、原則としてこれを回避すべきであり、やむを得ず異物を混入させる場合にもその混入量は最少限にとどめると共に、必要性のなくなつた時にはこれを除去する等の措置をとるべきである。

(2) したがつて脊髄腔造影を行うにあたつては、①事前に神経医学的検査、レントゲン検査等を行い、②その所見で、椎間板ヘルニアであるか否かが不明である場合又は疾病は判明したがその患部の部位、範囲、周囲の状況を特定できない場合であること、③他に代替しうる手段のない場合であること、④造影剤注入による余病併発がないと判断されること、⑤造影剤の使用量は必要最少限にとどめ、目的を達したときには直ちに除去、排除することが必要である。

(3) 被告病院は、亡安江に対する脊髄腔造影に際し造影剤としてマイオジールを二度注入したが、右注入の処置は次の点において誤りがある。

すなわち、

① 被告病院は、昭和四〇年六月二二日に亡安江を診断した時に、その疾病が椎間板ヘルニアであり、患部が第四・第五腰椎間である旨の所見を得ていたのであるから、更に亡安江に対し脊髄造影を施す必要はなかつたのであるし、

② また、マイオジールはヨードを三〇パーセント含有するものであるから、その注入を行う場合には、事前に亡安江のヨード反応を検査すべきであつたところ、被告病院は同検査を行わず、亡安江がヨード過敏症であることを見過ごしたまま、脊髄腔造影を施した。

③ そしてマイオジールの注入量は、椎間板ヘルニアの場合、一・五ミリリットルで十分であるとされているところ、被告病院は亡安江に対し二ミリリットルをはるかに超える量のマイオジールを注入し、

④ しかも造影後、マイオジールを除去することをしなかつた。

⑤ 更に、被告病院は二回目の造影の際、亡安江の頭を下にしてマイオジールを逆流させ、その結果マイオジールが脳室及び脊髄腔内に流入し、残留する結果を生じ、亡安江に頭痛、呼吸困難、両上肢麻痺の障害を生じさせた。

(三) 第一回手術における過失

(1) 第一回手術は亡安江の患部(第四・第五腰椎外側のヘルニア)の除去を目的としたものであるのに、被告病院はこれを適切に除去しえず、

(2) またその際、亡安江の腰椎及び脊髄にある神経に損傷を与えた。

(四) 第一回手術後の加療行為における過失

(1) 第一回手術である骨形成的偏側椎弓切除術は、施術後長期間にわたり骨の癒合が起こらず、脊椎分離症や馬尾神経損傷を起すことがあるため、医学上一箇月間のギブス固定の上、更に六箇月間以上の軟性コルセットによる固定が必要とされている。

しかるに、被告病院は第一回手術後亡安江に対し、ギブス包帯やコルセット固定等の措置を全くとらなかつたため、第一回手術により亡安江に与えた腰椎及び神経に対する損傷を悪化させた。

(2) また、亡安江が、看護婦の介助により排便後、看護婦は亡安江を左足を曲げたままにして放置したため、亡安江について黄色靱帯の肥厚を生じさせた。

(五) 第二回手術の適応性判断の誤り

(1) 被告病院は第二回手術を行うにあたつて、椎間板ヘルニアの各症状を検討し、前記請求原因3(一)の①ないし⑥の各点を同じく考慮して、その適応を決すべきであつた。

特に、第一回手術から第二回手術まで二箇月間を経過したに過ぎず、亡安江の回復も十分でない時期に手術を行う以上、その適応性を十分検討することがなおさら必要であつた。

(2) そして亡安江にはラセグ徴候が認められないなど第二回手術について適応性が欠けていたに拘らず、被告病院はその適応性の判断を誤り、第二回手術を実施した。

(六) 第二回手術における過失

被告病院は第二回手術において亡安江に対し、第三腰椎の両側椎弓切除術を行い、更に、硬膜の切開術を行つた。

しかし第三・第四腰椎間板ヘルニアが存在していたとする疑いは前記のとおり根拠がないし、硬膜まで切開した理由は見当らない。

以上、第二回手術はその合理的な理由がないままに行われその結果、馬尾神経の癒着を生じさせて、亡安江に傷害を与えたものである。

4  損害

(一) 亡安江は、被告の右債務不履行により前記請求原因2(二)、(三)記載の障害を負い、その結果、後記(二)に各記載のような財産的、精神的損害を被つた。

しかし、これら生命・身体に対する損害を財産的に評価することは極めて困難である。そこで原告としては、亡安江に生じた一切の損害(得べかりし収入の喪失、離婚による家庭の喪失、後遺症による社会生活上の制約などに対する物質的、精神的損害の一切)について、いわゆる包括請求を行うのが相当であると考え、諸事情を考慮のうえ、その損害額を三七九〇万円と主張する。

(二) なお原告は予備的に、いわゆる積算方式に基づいて、以下の損害の合計額である三七九〇万円の賠償を求める。

(1) 得べかりし利益

① 本件手術後、本件訴提起(昭和五〇年一二月二〇日)までの一〇年間の休業損害 六二〇万円

昭和四五年度賃金センサス全産業全女子労働者平均給与額の一〇年分である。

(41,700×12+119,200)×10=6,196,000≒6,200,000

② 訴提起後死亡までの得べかりし利益 七三〇万円

亡安江は、昭和五七年一一月二五日に死亡した。そこで昭和四八年度高卒女子平均給与額を基準とし、本件訴提起時以降、可働年数を八年、労働能力喪失率一〇〇パーセント、新ホフマン係数により計算すると、次のとおり七三一万七二九九円となるから、うち七三〇万円を請求する。

(2) 慰謝料 二四四〇万円

① 家庭生活の崩壊による慰謝料 一〇〇〇万円

亡安江は、両下肢の反射が消失し、膝関節以下の運動能力も著減又は消失の状態にあるため、日常生活はほとんど介助なしですることができず、一級の身体障害にも相当する障害を生じている。

右障害のため、亡安江は家庭生活を営むこともできず、昭和四四年には離婚のやむなきに至つた。これにより亡安江の被つた精神的苦痛を慰謝するには、一〇〇〇万円をもつてするのが相当である。

② 社会生活上の制約等による慰謝料 一四四〇万円

亡安江は前記障害のため、舞台女優として復帰する希望を放棄せざるを得なくなり、他方被告病院による診療録の偽造、証拠隠滅等の責任回避によつて、甚大な精神的苦痛を強いられた。これらの精神的苦痛を慰謝するには、一四四〇万円をもつてするのが相当である。

(三) 亡安江は、被告病院に対し、昭和五〇年六月二五日、損害の賠償を求めたが、被告病院はこれに応じなかつた。

よつて、原告は被告に対し、債務不履行による損害賠償として、三七九〇万円とこれに対する請求の日の翌日である昭和五〇年六月二六日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2  同2(本件医療事故に至る経過)について

(一) (一)の事実のうち、亡安江が昭和三九年ころから被告病院において治療を受け、主張のとおりの診断がなされた事実は認めるが、伊丹教授の亡安江に対する説明については否認し、その余の事実は知らない。

伊丹教授は亡安江に対して、手術をすれば今よりよくなるであろう旨説明したものである。およそ手術において、完全に治ると断定できるものはないから、主張のような説明はしていない。

(二) (二)の事実は否認する。

入院を延期したとすれば、椎間板ヘルニアの症状には波があるため、症状のあまり強くない時期だつたであろうと考えられる。

(三) (三)の事実のうち、昭和四〇年六月二二日亡安江と被告病院との間で入院治療契約を締結したことは認めるが、入院治療契約の目的については否認する。入院治療契約の目的は、現代医学の知識、技術を駆使して適宜の診察、手術、治療を行なうことであつて、原告主張のように根治を目的とするものではない。

マイオジールを使用して脊髄腔造影を行ない、造影後マイオジールを除去しなかつたことは認める。

(四) (四)の事実は認める。

(五) (五)の事実のうち、第一回手術後、亡安江の左下肢が麻痺していたこと、亡安江の用便の際、看護婦が介助していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

左下肢の麻痺は第一回手術前からあり、それが一過性に増悪したものであつて、その程度も全くの麻痺ではない。

また三日間麻酔から醒めなかつたとの事実は否認する。亡安江は七月二日午前、疼痛の有無に関する問診に対し疼痛はない旨答え、同日午後には既応歴に対する問診に回答しており、七月三日にも諸種の問診に答えているのである。被告病院は亡安江に対し、七月一日、二日の両日に鎮痛鎮静を目的とした薬剤を注射したが、右薬剤には催眠効果もあるため眠気を催したものと思われる。

また第一回手術後、腰痛が生じたことはない(仮に生じていたとしても軽度のものである)。即ち、被告病院は手術後第六週になつて初めて腰痛緩和のために鎮痛剤の投与を行つているのであつて、この事実から考えて、亡安江の腰痛はこのころに生じたものと考えられる。

(六) (六)の事実は否認する。

亡安江は、七月三〇日に起床訓練を開始し、八月二日には歩行練習も開始した。左下肢の浮腫は第一回手術後六週間経過して生じたものであり、その程度も、同月二七日の時点において内科的な治療を要しない程度のものであつた。

(七) (七)の事実のうち脊髄腔造影を行なつたことは認めるが、新たに造影剤を使用したことは否認する。

(八) (八)の事実は認める。

(九) (九)の事実のうち、第二回手術後亡安江の両足が麻痺し、知覚鈍麻していたことは認めるが、その余の事実は否認する。

右麻痺は一過性のものであり、知覚鈍麻についても漸次回復し、九月二七日には大腿部筋力がつき、また一〇月一八日から左下肢の運動を行つて、歩行できるようになつた。

(一〇) (一〇)の事実は認める。箱根の療養所はリハビリテーション専門で、軽症の者を紹介していたのであり、重症の者には国立長野病院を紹介していた。

(一一) (一一)の事実は否認する。

亡安江は昭和四〇年一一月一〇日被告病院を退院し、リハビリテーションを受けるために療養所に入所したのであつて、転院ではない。

退院時、亡安江に軽度の腰痛、下肢に軽度の麻痺があつたことは認めるが、その症状は漸次軽快し、リハビリテーションにより回復に向かう程度のものであつた。

(一二) (一二)の事実は知らない。

仮に右事実が認められるとしても、その障害が本件手術によるものであることは否認する。原告の主張するところによると、亡安江に生じた麻痺は、下肢のみでなく上肢まで及んでいるというのであるところ、本件手術によつて上肢に麻痺が生ずることはありえないこと、そうであるとすると、亡安江の症状全体もまた本件手術とは関係のない、心因性の麻痺その他の原因によるものと考えられる。

3  請求原因3(被告病院の責任)について

(一) (一)の主張及び事実のうち亡安江に対し保存療法を行なつていないこと、第一回手術前において亡安江にラセグ徴候がみられなかつたことは認めるが、その余の事実及び主張は争う。

椎間板ヘルニアの手術適応の判断基準に関する原告の主張は、京都大学医学部の近藤、桐田、藤田三氏の共同発表に依拠していると考えられるが、右のような判断基準は一般的に承認されている訳ではなく、他にも適応基準についての異つた研究発表がありその内容はかならずしも一致していない。しかも、仮に、原告主張のような基準によつたとしても、亡安江は同基準の③④に該当していたのであつて、その点からも原告の右主張は失当である。なお、保存療法を行なわなかつたのはその必要がなかつたからであり、ラセグ徴候が認められないからといつて、そのことから亡安江が椎間板ヘルニアではないとすることはできない。

亡安江は昭和三二年ころ発病、同三八年ころから疼痛があつたこと、腰筋両側に著明な筋硬結があり、上臀皮神経に圧痛が認められたこと、左下腿外側から足背部第一趾の内側にかけて知覚鈍麻があつたこと、左足関節の背屈力及び両側のアキレス腱反射の各低下があつたこと、また、心電図、一般血液、尿検査、胸部レントゲン検査には特に異常がなかつたものの、昭和四〇年六月二六日に施行した筋電図検査では、大腿四頭筋以下に放電数の減少がみられ(特に左第四腰神経以下に減少が強い)、マイオジールを用いて脊髄腔造影を行なつたところ第四・第五腰椎間左に陰影欠損が認められたこと(造影剤はほとんど右側を通つた)、などの病状の経過や所見が存し、これらを総合すると、亡安江の椎間板ヘルニアは相当程度に固定化した症状に悪化しており、一日、二日を争うという状況ではないものの、放置しておくと非回復性の麻痺に進行するおそれのある状態であつて、椎間板ヘルニア摘出手術施術適応の状態であつた。

(二) (二)(1)、(2)の主張については争う。

(二)(3)の事実は、①のうち、被告病院が、亡安江が椎間板ヘルニアであつてその患部が第四・第五腰椎間にある旨診断していた事実、③のうち被告病院が一回に注入した量が一・五ミリリットルを超えていた(使用した量は二ミリリットルである)との事実及び④の事実は認めるが、その余は否認ないし争う。

マイオジールの副作用について論じられるようになつたのは昭和四〇年ころの学会でのことであり、本件手術当時の医学界の常識では、マイオジールは無害であるとされていたから、マイオジールを使用し、また吸引しないことに問題はなかつた(使用説明書にもその旨の記載があつた)。

また吸引すべき場合があることを認めるにしても、それは多量に使用した場合のことであり、本件のように二ミリリットルという少量の使用の場合ではない。マイオジールが除去可能であるといつても、全て除去が可能だという訳のものでなく、一ないし二ミリリットル程度残留することが多いとか、半分除去しうる程度などとされているのが一般的であり、しかも二ミリリットル程度残留したとしてもその結果副作用の症状が生じた例はないとされていたのであつて、マイオジールの吸引除去による患者の不快、苦痛、再穿刺による神経損傷のおそれを考えれば、本件で吸引除去する必要はなかつたというべきである。

次に原告は、ヨード反応検査を行なわなかつたことを問題としているが、ヨード過敏症としての障害は、刺激症状で、早期に発生するのがほとんどであるところ、亡安江に、このような障害と認められる症状は認められなかつた。

なお、万一マイオジールが残存しているとの原告の主張が事実とすれば、レントゲン撮影などにより充分明らかになるはずのところ、その証拠資料はないのであつて、マイオジールの注入及びこれを除去しなかつた処置と亡安江の症状との因果関係があるとする原告の主張には理由がない。

(三) (三)(1)、(2)の事実は否認する。

第一回手術において第四腰椎左側に骨形成的偏側椎弓切除術を行つたところ、ヘルニアは左外側に偏して存在し、後縦靱帯にメスを入れると膨隆をみた。ヘルニア鉗子によりこのヘルニアを摘出し椎弓を還納して手術を終了したものである。

なお摘出されたヘルニアは陳旧性のもののように乾燥していた。

(四) (四)の事実のうちギブスベッドコルセットを使用しなかつたことは否認し、その余の主張は争う。

骨形成的偏側椎弓切除術は棘突起を縦切する方法で骨片還納後も骨接触部分が広く骨癒合が極めて良好な術式である。

ギブスベッドコルセットは使用したが、必ず使用するものであるため診療録に記載しなかつたものである。

また黄色靱帯の肥厚は長期間の異常により発生するものであるから、第二回手術により認められた黄色靱帯の肥厚が、第一回手術後に生じたということはありえない。

(五) (五)の事実は否認し、主張は争う。

亡安江は、一般血液、尿検査等に異常はなかつたものの筋電図検査では第一回手術前に比べ改善の徴候はなく左大腿四頭筋以下の低電位が著明であり、他方第一回手術後一箇月半を経過しても筋萎縮、腰痛が残存するため、再度脊髄腔造影を行なつた結果第三・第四腰椎間にヘルニアの存在が明らかとなつたため手術が必要となつたものである。また、亡安江の一般状態は手術に適しない状況ではなく、期間をおくべき必然性も必要性もなかつた。

なお、第一回手術前の造影検査の際第三・第四腰椎間のヘルニアに気付かなかつたのは、第三・第四腰椎間と第四・第五腰椎間の両方に病変のある場合、脊髄腔造影による診断の際、より顕著な病変所在部分である第四・第五腰椎間のヘルニアについて造影剤の通過障害が現われ、より顕著でない病変部分である第三・第四腰椎間のヘルニアについて変化を判断しえないことがあることによるものである。

(六) (六)の事実のうち第二回手術において第三腰椎の両側椎弓切除術を行ない更に硬膜を切開したことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

亡安江に対してなされた脊髄腔造影は硬膜内造影であつたため、病変が硬膜内か硬膜外かについて判断しにくかつたものである。

第二回手術においては第三腰椎を中心に縦皮切し、第三腰椎左側の偏側椎弓切除術を施行したが椎間板には異常がなく、第三腰椎全体の椎弓切除術を施行したところ右側にも変化がなかつたため、硬膜を切開し馬尾神経を調べたが異常がなく、黄色靱帯が肥厚し硬化していたので切除したものである。前記のように脊髄腔造影では硬膜内か硬膜外かを判断することが困難であり、また、黄色靱帯の肥厚はその症状がヘルニアと区別し難く、実際に切開し肉眼による所見でなければ明確に判別できないため、椎間板に異常がなければ硬膜を切開し馬尾神経、黄色靱帯を調べるのは当然の処置である。

4  請求原因4(損害)は否認する。

第三  証拠〈省略〉

理由

一被告が、主として医学教育を目的とする学校法人であり、その付属機関として、被告病院を経営していること、亡安江が、腰痛を訴えて、昭和三九年六月ころから被告病院整形外科において診察を受け、椎間板ヘルニアと診断されたこと、亡安江が、昭和四〇年六月二二日椎間板ヘルニアの、手術による治療を目的とした医療契約に基づき、被告病院に入院したこと、被告病院が、昭和四〇年七月一日亡安江に対し、執刀者片山医師(教授)、手術助手丸毛、大戸、吉永の各医師により、第四腰椎左側の、骨形成的偏側椎弓切除によるヘルニア摘出術(第一回手術)が行われたこと、昭和四〇年九月九日亡安江について、執刀者片山医師、手術助手丸毛、大戸、吉永、吉松の各医師により、第三腰椎の両側椎弓切除術、硬膜切開の手術(第二回手術)が行われたことの各事実は当事者間に争いがない。

二亡安江に生じた身体上の障害と発生の経過

〈証拠〉により成立が認められる甲第一九号証によると次のように認められる。

1  亡安江は、昭和三八年ころ転居して荷物の整理をしていた際、突然に腰痛(いわゆる、ぎつくり腰)を生じ、近くの医師の治療を受けていたが痛みが取れないため、被告病院の整形外科において診察を受け、椎間板ヘルニアであるとの診断がなされた(前記認定のとおり)。その後、亡安江は、被告病院の整形外科に通院を続け、被告病院において、投薬を受け、コルセットを装着するなどし、痛みの高進と鎮静を繰り返していたが、日常の起居、動作、当時の主たる職業である英文タイピストとしての作業に著しい支障を生じるほどの障害はなかつた。亡安江は、このような痛みを繰り返すことの不安を解消し、単なる家庭生活だけでなく、職業活動(亡安江は、舞台女優の経験があり、舞台女優として復帰したいと考えていた。)をしたいと考えて、被告病院の外来診療の担当医師である伊丹医師に、痛みの不安を取り除いて、重労働(亡安江は、女優と言わず、単に重労働と説明した。)につきたい旨を訴えて相談した。これに対し、伊丹医師は、手術によるヘルニアの摘出をすすめ、亡安江もこれに従うことにした。

2  第一回手術の後、亡安江は腰部の痛みと両下肢の麻痺を訴え、特に左下肢の麻痺が強く、手術後一箇月程して始められた歩行訓練によつても軽快せず、手術から約五〇日を経過した八月一八日の回診において左大腿部の筋萎縮が認められた。

3  第二回手術の後も左下肢の麻痺が強く、その後歩行訓練等により多少の軽快をみたが、第二回手術から二箇月余を経て被告病院を退院した一一月一〇日当時において、クラッチ(一本杖)を使用してようやく歩行しうる状態であり、第一回手術前には、椎間板ヘルニアの存否を判定するための重要な基準とされているラセグ徴候がマイナスとなつていたのに、第二回手術後には左右両脚とも却つてこれがプラスに転じ、手術後二箇月を経過してもなおラセグ徴候はプラスであり、腰部の強い痛みを訴えていた。

4  一一月一〇日被告病院を退院した(退院時の亡安江に対する、被告病院の担当医師の所見、退院の理由については、被告病院の亡安江に対する診療録(乙第一号証の一)に記載がなく、亡安江の診療に関与した医師である証人片山、同丸毛にこの事実についての記憶が失われているため明らかでない)亡安江は、同日、被告病院の担当医師の勧めにより、機能障害について、回復訓練と、温泉療法を主とする、箱根整形外科温泉療養所に入り、以後約四箇月にわたつて治療と訓練を受けたが、左下肢の麻痺を残し、クラッチを使用してようやく歩行することができる状態のまま、療養所における治療に不満があり、費用負担に堪えられないなどの理由で、右療養所を退所した。

5  亡安江は、右療養所を退所してから、箱根の温泉で一箇月近くを過ごした上で自宅に帰り、近くの整形外科医院で診療を受けるとともに、はり、マッサージなどの治療を受け、左下肢の麻痺を残しながらも、昭和四四年ころには、雑誌の編集に関係する仕事をするため、神奈川県鎌倉市の自宅から、東京都内の出版社まで、クラッチを使用して通うことができるようになり、更には、跛行状態ではあるが、クラッチを使用しないで歩行することができるようになつていた。

6  亡安江は、昭和四六年五月一二日腰痛などを訴えて、東京都立荏原病院(以下「荏原病院」という。)整形外科の診察を受け、翌日同病院に入院して診療を受けた結果、両下肢の不全麻痺(左下肢の麻痺が、右下肢の麻痺より強い)、左足関節の背屈不能、左下肢の筋萎縮、両側腰部から足にかけての知覚鈍麻(左が強い)、左の膝蓋腱反射消失、右のアキレス腱反射低下が存在するものと診断され、亡安江は、更に、強い腰痛、頭重感、頭痛、吐き気、めまい、呼吸困難、左上肢の倦怠感、全身倦怠感、耳鳴り、腹痛などを訴えた。

入院後、約二〇日を経て両下肢の麻痺症状を残したまま、他の各症状は軽快して退院した。

7  続いて亡安江は、頭痛、眼痛、両上肢倦怠感、下腹部痛等を訴えて、昭和四六年一一月一日荏原病院に第二回目の入院をし、同病院は、バレ・リュー症候群の診断の下に、星状神経節ブロックを数回施行し、入院中更に、胸部不快感、食欲不振、耳鳴等の症状も出現したが、同年一一月一三日軽快して退院した。

8  更に亡安江は、同年一二月二八日腰部、左前腕各打撲、左母指突き指により荏原病院に第三回目の入院をし、左上肢の倦怠感、眼痛、全身の倦怠感、左上肢の無力感、握力低下、腰痛等の訴えがあり、安静、臥床により軽快して昭和四七年一月一一日退院した。

9  その後一年一箇月余を経過した昭和四八年二月二六日、荏原病院に第四回目の入院をし、全身倦怠感、呼吸困難、腹痛、頭痛、左肩の疼痛、上肢の倦怠感、両上肢の倦怠感、両上肢の脱力感、めまい等の多くの症状があり、自律神経失調症の診断名の下に、同病院神経科において脳神経科的な検査、診察を行つた上、同病院の神経科においては治療困難であるとして、同年六月二〇日に、同病院の紹介により、国立大蔵病院精神神経科に転院した。

国立大蔵病院においては、腰痛、頭痛、全身倦怠感、おう吐感、胸苦、めまい、左肩亜脱臼など多様な症状がみられ、ヒステリー、左肩関節亜脱臼、椎間板ヘルニア手術後遺症の疑いの診断名の下に処置を受けた後、同年一〇月一日に、神奈川県内にある、精神薄弱者の施設で、機能回復訓練の施設があるふじみ園に入所することとして退院した。

昭和五二年九月二〇日大船中央病院で、身体障害者福祉法の適用についての診断を受けたところ、躯幹及び四肢弛緩性麻痺で、身体障害者福祉法別表第一級に該当する旨の診断を受け、坐位、起立位を持続させることができず、松葉杖を使用しなければ歩行が困難な状態にあつた。

以上のように認められ、亡安江尋問の結果中、右認定に反する供述は、右認定に供したその余の各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三第一回、第二回各手術と亡安江に生じた身体上の障害との因果関係について

1  まず、第一回手術についてみるに、〈証拠〉によると、第一回手術は、第四・第五腰椎間の突出した椎間板を摘出する目的で骨形成的偏側椎弓切除の術式で行われ、所期していたとおりに、左側に偏した、陳旧性のヘルニアを発見し、ヘルニア鉗子で摘出した上、切除した椎弓を還納したものであることが認められ、他にこの認定に反する証拠はない。

2  次に、第二回手術についてみるに、第一回手術の認定に供した右各証拠によると、第二回手術は、第三腰椎を中心に、切開し、第三腰椎左側の偏側椎弓切除をしたが、椎間板に変化がないため、全体の椎弓を切除したが右側にも変化がなく、更に、硬膜を切開して馬尾神経を調べてみたが全く変化がなかつた。ただ、黄色靱帯の肥厚が著明で、硬化していたためこれを切除して手術を了えたものと認められ、この認定に反する証拠はない。

3  ところで、第一、二回手術(以下「本件手術」と総称する。)の後に亡安江に生じた身体上の障害は、既に認定したとおり、全身にわたり、かつ多様であるところ、本件手術は右認定のとおり、第三腰椎以下について行われたもので、この結果生じることのある障害は、〈証拠〉によると、腰部以下についてであつて、それより上、特に上肢について生じることはないものと認められ、これに反する証拠はない。

したがつて、亡安江に生じた前記各障害のうち、腰痛、及び両下肢の麻痺を除いては、手術による侵襲と直接の因果関係はないものと認めるのが相当である。

4  そこで、腰痛及び両下肢麻痺の原因についてみるに、〈証拠〉によると、亡安江の脊髄第三腰神経の高さには髄鞘及び軸索の不完全脱落を伴なつた馬尾神経の癒着束状(神経相互の癒着)並びに肥厚した硬膜との癒着を認め、右は、手術による影響を否定できないし、右馬尾神経相互の癒着及び肥厚した硬膜との癒着(以下、両者を「馬尾神経の癒着」という。)が両下肢弛緩性麻痺の原因を成していると推定されるというのであり、上村、岡田両鑑定によつても、椎間板ヘルニア摘出手術の後遺障害の原因として、神経根の癒着があげられている。また、〈証拠〉によると、神経の癒着による障害は、手術後直ぐには現れず、場合によつて異なるが、一箇月後位から現れる場合もあるというのであり、〈証拠〉によると、椎間板ヘルニアの手術後は、手術による侵襲のため一過性の麻痺が生じ、一箇月位は痛みを訴えることがあるというのである。

そして、〈証拠〉を総合すると、第一回手術の際切除して還納した椎弓は完全に癒合しており、脊椎のずれもなく、造影剤(マイオジール)による障害を生じた痕跡も全く認められないというのである。

以上の各事実及び所見に、既に認定した、亡安江に生じた両下肢の麻痺の発生時期、その後の経過を併わせ判断すると、亡安江に生じた、馬尾神経の癒着が、亡安江の両下肢麻痺の原因を成していたものと認めるのが相当である。

なお、〈証拠〉によると、亡安江の第三・第四腰椎間の椎間板に、陳旧化したヘルニアとみられる突出部が認められ、〈証拠〉によると、右ヘルニアが亡安江の下肢の症状を増悪させたと考えるのが妥当である旨の証言があるが、右事実をもつてしても、亡安江に生じた両下肢麻痺の原因が、前記馬尾神経の癒着にあることを否定する事由になるものではない。

5  亡安江に生じた、前記身体上の障害のうち、両下肢の麻痺を除く部分について、本件手術による侵襲が直接の原因を成していると認め難いことは既に判示したとおりであり、両下肢の麻痺について、右馬尾神経の癒着のほかに、本件手術によつて生じた原因が存在するものと認めるに足りる証拠はない。

原告は、亡安江に生じた前記障害のうち、両下肢の麻痺を除く部分については、第一回手術前に、被告病院医師によつて亡安江に注入された造影剤マイオジールが、脳室内及び脊髄腔内に残留したために生じた障害である旨主張する。

しかし、岡田鑑定によると、同鑑定が行われた昭和五六年八月当時、亡安江の、頭蓋、頸椎、胸椎、腰椎について、レントゲン撮影により検査した結果、造影剤の残留は認められないというのであり、伊藤鑑定によつても、解剖所見の結果、頭部、脊髄など中枢神経系には、造影剤の残留を認めないというのであり、これら鑑定の結果によると、亡安江には中枢神経に障害を生じさせるような造影剤の残留があつたものではないと認められる。

亡安江尋問の結果中には、昭和四四年九月ころ、頭痛が激しいため、被告病院内科において診察を受けた際、レントゲン撮影の結果、脳の実質に造影剤が食い込んでいる、手術しても取れないから諦めなさいと言われた旨の供述、及び昭和四八年三月ころ荏原病院に入院中、同病院の医師から、頭部に造影剤が残留している旨の説明を受けた旨の供述がある。

しかし、右供述中荏原病院の診断に関しては、〈証拠〉によると、昭和四八年三月八日の欄に、翌日に頭部、頸部のレントゲン写真を撮る旨の記載があり、同記載からすると、頭部のレントゲン写真が撮られたものと推認されないでもないが、現実に撮影された旨の記載も、その結果の所見についても全く記載がなく、同診療録によつてその後の診療経過を検討してみても、頭部に造影剤が残留していることを前提とした所見も、診療処置も見当たらないのであつて、荏原病院において、亡安江の前記供述のような診断をなしたものとは到底考えられないところであり、亡安江の右供述部分は採用できない。

また、被告病院内科の診断に関する供述部分については、亡安江の、上村鑑定人の問診に対して同趣旨の答えをしていることが認められる(〈証拠〉。ただし、レントゲン撮影の時期については、明確でない。)が、他にはこれを裏付けるような客観的な資料は全くなく、容易に措信することができない。

他に、造影剤の残留を疑わせるような証拠は見当たらない。

ところで、亡安江の前記身体上の障害のうち、両下肢の麻痺以外の障害についても、これらの障害が、既に認定のとおり、いずれも本件手術前には見当たらず、特にその原因と見られるような身体上の欠陥が見当たらない(〈証拠〉)こと、岡田鑑定によると、これらの症状が、入院経過中の疼痛のため神経質になり、精神的に脆弱になつて、心因性反応が強く出現していると見受けられることの各事実が認められるのであつて、これらの点を考慮すると、亡安江の右各症状と本件手術との間には、関連性があるように考えられないでもない。

しかし、〈証拠〉によると、亡安江の右症状について、自律神経失調症、ヒステリーなどの診断名で対応していることが認められるが、発症の原因を明確に本件手術にあるものとしたところはなく、上村鑑定によつても、亡安江の症状の総てを、手術によるものと判断することは極めて困難であるというのであつて、これらの判断、事実を総合すると、亡安江の右症状について、本件手術後の疼痛などによる苦痛が、発症の原因をなしているものではあるが、主たる原因としては、亡安江の気質、性格等固有の要因があり、本件手術による疼痛等は、その引き金を成しているに過ぎないものとも考えられ、被告病院の責任を問うについて、本件手術と右症状の間に相当因果関係があると断ずることはできないというべきである。

四被告病院の過誤について

1  マイオジールの使用について

被告病院の担当医師が、亡安江に対し、本件第一回手術に先立つて、造影剤として、マイオジールを脊髄腔に注入し、レントゲンによる検査後これを吸引除去しなかつたことは当事者間に争いがなく、注入したマイオジールの量については、被告病院の診療録(乙第一号証の一)にその記載がないが、〈証拠〉によると、本件手術当時、被告病院整形外科においては、椎間板ヘルニアの診断のために脊髄腔にマイオジールを注入する場合には、一・五ミリリットル以上で、二ミリリットルを超えない量を使用する旨の基準を定め、特段の事情のない限りこれによつていたことが認められ、この認定に反する証拠はないから、亡安江に対して使用されたマイオジールの量も二ミリリットルを超える量ではなかつたものと推認されこの推認を覆すに足りる証拠はない。

原告は、第二回手術前にもマイオジールを注入した旨主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

原告は、右マイオジールの使用について、使用の必要性、使用量の判断の誤り、撮影中に脳室内に流入させた過誤、使用後の吸引除去の不実施を被告病院の過誤として主張するが亡安江の中枢神経にマイオジールの残留が認められず、亡安江に生じた身体上の障害と、マイオジールの注入との間に因果関係が認められないことは既に判示のとおりであるから、主張の過誤の有無について判断するまでもなく、主張は理由がない。

また、マイオジールの注入により、亡安江に、ヨード反応による副作用が生じたものと認めるに足りる証拠はない。

2  第一回手術の適応判断の誤りについて

第一回手術の際切除されて還納された椎弓が完全に癒合していて、なんら支障のないことは既に認定のとおりであり、本件に現れた全証拠を検討しても、第一回手術により、亡安江の身体に障害を遺すような侵襲が加えられたものと認めるに足りる証拠はない。

したがつて、第一回の手術により障害の結果が発生した旨の主張に限つて考えるのであれば、その手術の適応の判断の当否について検討する必要はないことになる。

しかし、原告が問題とするところは、亡安江に存在した椎間板ヘルニアの治療について、保存療法を継続する方法によらず、手術による治療方法を選択したことの誤りをいうのであり、このことは、単に第一回手術だけでなく、第二回手術の実施を包含するものであるからこの点について検討する。

〈証拠〉及び既に亡安江に生じた身体上の障害、その経過について認定した(第二項1)事実を総合すると、亡安江は、昭和三八年ころ引越荷物の整理中に、急に腰の痛みを生じ、その後腰痛の発生を繰り返して被告病院で診断と治療を受けていたが、その間、担当医師の指示により、コルセットを装着することはあつたが、三週間以上の安静臥床、牽引などの保存的療法は受けたことがなかつたこと、亡安江は、過去に舞台女優としての教育を受け、女優として舞台に立つていたことがあり、本件手術の数箇月前ころ、再び舞台女優として復帰したいものと考え、被告病院の担当医師に対し、重労働を内容とする職業につきたいので、椎間板ヘルニアの痛みの再発の不安を取り除きたい旨希望を述べて相談したところ、担当医師は、亡安江の希望を実現するためには、手術によりヘルニアを摘出することにより根治させることが適切であるから手術すればよい旨応答し、亡安江もこれによつて手術を依頼することを決意したこと、被告整形外科では、手術の適応性の有無を判断するために、各種の検査をし、レントゲンによる腰椎部造影をした結果、ラセグ徴候はマイナスであるが、アキレス腱反射は両側とも減弱、左脚の下腿から足背部、第一趾にかけて知覚鈍麻があり、左の足関節背屈力が著明に減弱、腰筋は両側強く緊張、上臀皮神経の両側に著明な圧痛などの症状を認め、造影検査の結果、第四・第五腰椎間の左側に軽い欠損様の存在を認めたこと、以上の所見に基づいて、担当医師は、亡安江には、第四・第五腰椎間の椎間板が左側に突出しており、亡安江には、椎間板ヘルニアによる痛みによる不安を除去する趣旨で手術の適応があるものと判断して、第一回手術を行うことを決定したことの各事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

〈証拠〉によると、本件手術当時においては、一般的に、椎間板ヘルニアについては、保存的療法により相当部分の患者が緩解するので、まず保存療法を試み、それによつて症状が緩解しない場合に、手術によるべきものとされていたが、壮年者で今後の活発な活動を期待する者、重労働に就く者などは、ヘルニアを根本的に取り除き痛みが再発することの不安を取り除くために手術を行うことも適切な医療処置であるとされており、その決定は、患者の希望と医師の診断の結果によるものとされていたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

また、ラセグ徴候については、〈証拠〉によると、椎間板ヘルニアの患者のうち、九〇パーセントに近い者にラセグ徴候が認められ、椎間板ヘルニアの診断について極めて重要な基準となつているが、一〇パーセントを超える者については、ラセグ徴候が認められない場合があるのであり、絶対的な診断基準ではないものと認められる。

以上の点を総合して判断すると、亡安江が、手術の決定当時において、日常の生活を続けるのには特に不自由はない程度の痛みであり、コルセットの着用の他に特段の保存的療法を受けたことがなく、ラセグ徴候がマイナスであつたとしても、亡安江の希望により、重労働に就くため、ヘルニアによる痛みを根本的に取り除くために、手術を決定した被告病院担当医師の判断に誤りがあつたものということはできないというべきである。

3  第一回手術の誤りについて

第一回手術において、亡安江に対し、身体に障害を遺すような侵襲が加えられたものと認められないことは既に判示したとおりである。

原告は、第一回手術は、第四・第五腰椎間のヘルニアを摘出する目的でなされたところ、これを適切に除去しなかつた旨主張するが、〈証拠〉によつても、同部位にヘルニアが残存する旨の指摘はなく、〈証拠〉によると、第二回手術前に行われた造影剤によるレントゲン透視の結果においても同部位にヘルニアの存在が認められていないのであつて、これらの事実によると、第一回の手術において、右主張のような摘出の誤りがあつたものとは認め難い。

4  第一回手術後の、加療行為の誤りについて

(一)  原告は、第一回手術後において、亡安江について、固定処置をとらなかつたため、切除した椎弓の骨癒合に不全を生じ、これが亡安江に生じた身体上の障害の原因を成した旨主張するが、〈証拠〉によると、亡安江は第一回手術後において、ギブスベッドによつて固定されていたものと認められ、伊藤、上村、岡田各鑑定の結果によると、第一回手術後の骨癒合に特に問題とすべき点はないものと認められる。

他に、主張のように、手術部位の骨癒合の不全が生じたものと認めるに足りる証拠は見当たらない。

(二)  亡安江尋問の結果によると、亡安江は第一回手術の後、付添看護婦の介助により両脚を折り曲げて立てた状態で排便をしたが、排便後左足が外側に倒れたままの状態になり、自力で元に戻すことができず、看護婦が元に戻すように介助しなかつたため、その後約一時間にわたりそのままの状態になつていたことが認められる。

原告は、その結果、黄色靱帯の肥厚が生じた旨主張し、後に認定するように、第二回手術の際、亡安江に黄色靱帯肥厚が認められているが、亡安江尋問の結果によるとその当時、亡安江はギブスベッドに固定されていたことが明らかであり、上村鑑定によると、椎弓切除の後、脊椎が動かないように固定するが、股関節から先はできるだけ動かすようにするというのであり、〈証拠〉によると、黄色靱帯肥厚は短時間の刺激によつて生じるものではないことも認められる。

以上の各事実からすると、主張の事実をもつて、亡安江の黄色靱帯肥厚の原因になつたものとは到底認め難く、他に主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

5  第二回手術の適応判断の誤りについて

(一)  原告は、第一回手術から第二回手術までの期間が短すぎた趣旨の主張をするが、第一回手術が昭和四〇年七月一日に行われ、第二回手術が同年九月九日に行われたことは当事者間に争いのない事実であるところ、〈証拠〉によると、第一回手術から第二回手術までの期間が二箇月であることをもつて、その経過期間が短すぎるということはできないと認められ、第一回手術から第二回手術までの期間が二箇月であることが短きに過ぎて、亡安江に生じた身体上の障害の原因を成しているものと認めるに足りる証拠はない。

(二)  次に原告は、第二回手術は、亡安江にラセグ徴候がなく手術の適応がなかつたばかりでなく、摘出すべきヘルニアの存在又は存在位置の判断を誤つて手術した旨主張する。

〈証拠〉には第一回手術後第二回手術までの間におけるラセグ徴候に関する所見についてなんらの記載も認められないし、他に、同期間中に亡安江に、ラセグ徴候があつたものと認めるに足りる証拠はない。しかし、ラセグ徴候の存否が、椎間板ヘルニアの診断について重要な基準を成すものではあるが、その存在が認められなかつたからといつて、椎間板ヘルニアの存在が否定され、手術の適応が否定されるものでないことは、第一回手術の適応について判示したとおりである。

〈証拠〉によると、第二回手術は、第一回手術後八月一八日の診断において、亡安江の左下腿に筋萎縮が認められて、第三・第四腰椎間に異常が有ることが疑われ、第一回手術後の経過としても異常であつたため、第三・第四腰椎間にヘルニアが存在するとの疑いの下に、第一回手術に先立ち亡安江に注入し、なお脊髄腔内に残留していると考えられるマイオジールによつて、レントゲン透視検査をした結果、第三・第四腰椎間の左側にヘルニアが有るものと判断して第二回手術を行つたが、同部位にはヘルニアは認められず、黄色靱帯の顕著な肥厚を認めてこれを切除したこと、椎間板ヘルニアの存在と、黄色靱帯肥厚との判別は、症状の点においても、また通常の造影検査による診断においても判別が困難であることが認められ、この認定に反する証拠は見当たらない。

以上の各事実に、〈証拠〉を併せ判断すると、亡安江の椎間板ヘルニアによる疼痛の除去を目的として始められた本件手術において、第二回手術が行われたことをもつて、その適応を誤つたとすることはできないものというべきである。

なお、〈証拠〉中には、第二回手術の適応について、一層の慎重さと検査、検討が必要であつた、適応決定について問題があつた旨の指摘があるが、右は、被告病院の、亡安江の診療録に造影撮影の結果等、検査結果についての記載が十分でないことを指摘し、これを前提として疑問を提起している趣旨と理解されるから、右判断の妨げになるものとは考えられない。

6  第二回手術の誤りについて

亡安江の身体上の障害(第二項において認定のとおり)のうち、両下肢の麻痺の原因が、亡安江の馬尾神経の癒着にあると認められることは、既に判示した(第三項4)とおりである。

〈証拠〉によると、第二回手術において、硬膜を切開して馬尾神経を調査したが、馬尾神経には異常が認められなかつたものと認められ、この認定に反する証拠はないから、第二回手術以前には、馬尾神経の癒着は存在しなかつたものと推認されること、既に認定したとおり、第二回手術において硬膜を切開して馬尾神経を調べていること、第二回手術終了後において、亡安江の馬尾神経に癒着を生じるような侵襲が加えられたことを窺わせるような事実を認めるに足りる証拠は見当たらないこと、硬膜を切開した部位と癒着を生じた部位が一致する(〈証拠〉)ことに基づいて判断すると、亡安江の馬尾神経の癒着は、第二回手術によつて生じたものと推認するのが相当である。

そして、〈証拠〉によると、神経根の癒着は、手術中に、乱暴な手術操作をしたり、不用意に出血が多いと癒着が生じるというのであり、第二回手術に関する診療録、手術録(〈証拠〉)その他の証拠を検討しても、第二回手術において、不可避的に馬尾神経の癒着を生じさせる危険性のある要因が存在したことを窺わせるような事情は見当たらないから、右馬尾神経の癒着は、第二回手術の過程における過誤によつて生じたものと推認される。

五損害について

1  亡安江の損害は、個々の損害項目について算定しえない特段の事情があるとは認められず、また、個別的に損害を算定することにより他との公平を欠くというような事情も認められない。

したがつて、損害を包括的に算定すべき事情はないというべきであり、包括的な損害算定に基づく原告の請求は失当である。

2  よつて、個別的な損害算定方法による損害の請求について検討する。

(一)  逸失利益について

〈証拠〉によると亡安江は昭和六年一月二七日生まれの女子で、本件手術当時三四歳であつたものと認められ、既に認定したところによれば、亡安江は本件手術前には、椎間板ヘルニアによる疼痛に悩まされてはいたが、日常生活に支障を生ずる程度のものではなく、英文タイピストなどの仕事をしていたというのである。

そうであるとすれば、亡安江に生じた身体上の障害(第二項認定のとおり)全体をもつてすれば、右障害により亡安江に生じた労働能力喪失の割合は一〇〇パーセントと認められるが、本件手術によつて生じた障害は、両下肢の麻痺に限られることも既に認定のとおりであり、その麻痺も一旦はクラッチを使用しながらも相当距離を歩行して仕事に通うことができるまでに回復していたことも既に認定したところである。その後更に、その他の障害とともに、両下肢の麻痺も進行しているが、〈証拠〉によると、亡安江の身体上の障害は、心因性のものによつて加重されているものと認められ、更に、伊藤鑑定によると、亡安江の第三・第四椎間板にはヘルニアが生じていたことが認められ、前掲証人大戸の証言によると、右ヘルニアが、亡安江の下肢の麻痺を増悪させたものと考える余地が十分あると認められるのであつて、これらの点を総合して判断すると、本件手術(第二回手術)によつて生じた両下肢の麻痺による労働能力喪失の割合は、八〇パーセントと認めるのが相当である。

〈証拠〉によれば原告が被告に対し、本件手術による障害に対して損害の賠償を昭和五〇年六月二五日到達した書面により催告したことが認められるから、右到達の日の翌日以降について遅延損害金を生ずることになり、同日以降に生ずべき逸失利益については中間利息を控除することになるので、同日を基準としてその前後に区分して逸失利益額を算定することとする。

(1) 催告の日までに生じた逸失利益

昭和四〇年九月九日第二回手術以後亡安江は両下肢麻痺の障害を負つたのであるから右同日から催告の日までの逸失利益は各年度の労働省賃金センサス第一巻第一表企業規模計、学歴計の全産業女子労働者に対しきまつて支給する現金給与額、年間賞与その他の特別給与額をもとに計算すれば以下のとおりである。(円以下切捨て、以下同じ。)

① 昭和四〇年九月九日から同年一二月三一日まで 八万一二〇五円

② 昭和四一年一月一日から同四九年一二月三一日まで

昭和四一年 二八万四一〇〇円

19,900×12+45,300=284,100

昭和四二年 三四万六七〇〇円

24,100×12+57,500=346,700

昭和四三年 四〇万六五〇〇円

28,300×12+66,900=406,500

昭和四四年 四四万五三〇〇円

31,000×12+73,300=445,300

昭和四五年 五一万九一〇〇円

35,800×12+89,500=519,100

昭和四六年 六二万二九〇〇円

42,500×12+112,900=622,900

昭和四七年 七〇万七五〇〇円

48,200×12+129,100=707,500

昭和四八年 九一万八四〇〇円

61,900×12+175,600=918,400

昭和四九年 一二一万三〇〇円

80,200×12+247,900=1,210,300

③ 昭和五〇年一月一日から同年六月二五日まで 六九万五四七円

④ ①ないし③の合計額 六二三万二五五二円

よつて、本件手術により両下肢麻痺の障害を生じてから損害の賠償を催告するまでの間に亡安江が被つた損害は六二三万二五五二円の八〇パーセントに相当する四九八万六〇四一円であるものと認められる。

(2) 催告時後死亡までの逸失利益

右催告がなされた日の翌日である昭和五〇年六月二六日から亡安江が死亡した同五七年一一月二五日までの間の逸失利益は、各年度の労働省賃金センサス第一巻第一表企業規模計、学歴計の全産業女子労働者に対しきまつて支給する現金給与額及び年間賞与その他の特別給与額により計算した各年の所得額から中間利息を控除した額の合計の八〇パーセントに相当する額である。中間利息の控除につきライプニッツ式計算法を用いて算定すると以下のとおりである。

① 昭和五〇年六月二六日から同年一二月三一日まで 七〇万六一八一円

② 昭和五一年一月一日から同五六年一二月三一日まで

昭和五一年 一三一万一五二二円

(97,800×12+272,400)×0.9070=1,311,522

昭和五二年 一三七万五一七〇円

(107,000×12+308,000)×0.8638≒1,375,170

昭和五三年 一三九万四八八八円

(113,800×12+329,900)×0.8227≒1,394,888

昭和五四年 一三八万七八一四円

(119,500×12+337,300)×0.7835≒1,387,814

昭和五五年 一四〇万八〇七九円

(127,200×12+360,600)×0.7462≒1,408,079

昭和五六年 一五一万四六四四円

(142,200×12+425,100)×0.7106≒1,514,644

③ 昭和五七年一月一日から同年一一月二五日まで 一三四万六〇〇八円

④ ①ないし③の合計額 一〇四四万四三〇六円

よつて、被告に対して損害の賠償を催告してから死亡した日まで亡安江に生じた逸失利益は一〇四四万四三〇六円の八〇パーセントに相当する八三五万五四四四円であるものと認められる。

したがつて亡安江の被つた逸失利益の総額は一三三四万一四八五円となるから、原告の請求する一三五〇万円のうち右の限度で認容することとする。

(二)  慰謝料

亡安江が右両下肢麻痺の障害によつて被つた精神的苦痛についての慰謝料は五〇〇万円をもつて相当と思料する。

なお、原告は、亡安江は、本件手術によつて生じた身体的障害により、離婚するに至つた旨主張するが、亡安江尋問の結果、証人濱田稔の証言を検討しても、離婚の原因については明確でなく、亡安江に生じた両下肢の麻痺によるものと認めるには十分でない。

六結論

よつて、原告の本訴請求は、一八三四万一四八五円及びこれに対する弁済期の後である昭和五〇年六月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川上正俊 裁判官上原裕之 裁判官石栗正子)

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